こんにちは。私は独学サポートコーチ長宮慶次といいます。
本職は塾・予備校の講師をしており、教育のことは真面目に取り組んでいるつもりです。
このサイトを作ろうと思った理由の一つに、あなたの存在があります。
面識のない人からそんなこと言われても、困るだろうとは思います。
でももしよかったら、私の話を少しだけ聞いてください。
自分を責めないで、とにかく生きよう。そして前を向こう
今あなたは、生きることに絶望していませんか?
自分を責めていませんか?
絶望する必要はありません。
自分を責める必要はありません。
もちろん、バカなことは考えないでください。
私も仕事柄、不登校になった若者をたくさん見てきました。
不登校になった理由は千差万別で、しかもいくつものことが複合的に絡まって現在の状況を作ってしまった、という人が多かったように思います。
友達や先輩からのいじめ、成績の不振、先生との軋轢、病気やケガ、自信の喪失、親子関係の問題、未来への悲観。。。。。。いろいろあるとは思いますが、まとめると結局は人間関係なのではないかと思います。
人間関係とは厄介なもので、おそらくこのことで悩んでいない人なんていないのではないでしょうか。
程度の差こそあれ、人は人間関係に悩みながら生きているのです。
それなのに、なぜあなたはそこまで追い込まれてしまったのでしょうか。
それはきっと、あなたのせいではありません。
おそらく、少し硬直化してしまった周りの環境が原因であり、それにほんの少し不運が重なったためでしょう。
何のことかわかりやすく説明していこうと思います。
一応、あなたは中学生または高校生で、学校に起因する問題で不登校になったと仮定しておきます。違う場合は適切に読み替えてください。
少数派(マイノリティ)の存在
私は、どちらかというとマイノリティ、いわゆる少数派に属しているという自覚があります。
流行やブームには疎く、でも自分が興味を持ったものにはのめりこむ、空気が読めず、みんなが言いにくいことも口走ってしまう、テレビや新聞のいうことは信じない、大抵の人とは違う意見を持っている、などなど。 自分が少数派であることを自覚する場面には事欠きません。
でも、そうであるがゆえに私は、「寛容と多様性」をことのほか尊重しています。
世の中には私のように、少し変わった性格の人はたくさんいます。
少数派とはいっても、日本には1億人以上の人がいるのです。マイノリティも1000万人以上はいるでしょう。
そして私は、変わった人が大好きです。
みんなとはややテンポがずれていたり、みんなからややめんどくさい人、と思われている人たちとも、仲良くやっています。
おそらくそれは、自分が少数派であると自覚しているがゆえに、他の少数派のことも認め、尊重することができるのだと自己分析しています(もちろん、普段こんな難しいことを考えているわけではなく、自然に面白い人だなあ、と仲良くしているだけですが)。
同調圧力と空気
人間社会は本来、可能な限り寛容であるべきだし、一人一人の多様性を尊重すべきだと思います。
しかし、身近な小さな社会(人間関係)の中で、時として逆の、つまり不寛容で同調圧力の強い空気が蔓延し、少数派を排斥するムードが出来上がることがあります。
悲しいことです。
私はこの、同調圧力が大嫌いです。
学校の2面性
あなたを含めた若者にとって、学校という存在は、もう社会そのものと言ってもいいくらい影響の大きなものです。
この学校というものは、学業に励み、友人とかかわる中で、個性を尊重し、個人の成長を助けるという素晴らしい面もたくさんあります。
が、しかし逆に個性を押し殺し、個人をつぶしてしまいかねない方向に力が働くこともままあります。
多数の側にいるものが空気を作り、少数派を抑圧する、そんな場面はよくあります。
学校は閉じている面があるため、油断するとすぐそういう空気が出来上がります。
結果として、些細なことがきっかけとなり、いじめが始まったり、権力関係による抑圧が始まってしまうのです。
本来、学校の先生は、その学校の2面性を理解し、校内のルールをしなやかに守りつつも、個性を尊重して若者の成長を妨げないよう、学校内の空気をコントロールすることが必要なのではないかと思います。
しかし、私がそれなりに学んだ教育学において、そのようなことを明示的に学んだ覚えはありません(本当は学んだのに、私のデキが悪いせいで覚えていないだけかも)。
意識的あるいは無意識のうちに、そのような学校の2面性をとらえ、マイナス面がでないよう実践している先生もたくさんいらっしゃるとは思いますが、残念ながらそうではない先生もたくさんいると思います。
学校とは小さな社会です。小さな社会で過ごしていると、小さな枠でしか物事を考えられないようになります。それは誰もが陥る可能性があるものです。
そのため、長年のうちに学校が纏う妙な空気、負の面が見えなくなってしまうのです。
あなたはその、学校の空気に傷つけられ、そして自分でもその学校の枠内で悩み、その価値観にとらわれてしまっているのかもしれません。
学校から離れても人は生きていける
でも考えてください。 日本の学校なんて、たかだか100年程の歴史しかないのです。
その昔は寺子屋がありましたが、行くのも行かないのも自由、学びたい先生がいれば遠くても通うことができたのです。
人が人として成長するのに、「現在の形の」学校が必要なわけではありません。
一人で生きているわけではないので、楽しいことばかりではないことはわかっています。
しかし、つらい思いをして自分を責めたり、自殺まで考えるほど追い込まれている人が、学校になど行く必要はないではありませんか。
苦しければ、学校から離れよう
そう、私があなたに伝えたいこと。それは、、、
死ぬほど苦しいのであれば「学校」から離れなさい。
そしてそれは、全然恥ずかしいことではありません。
むしろ、学校の負の面を見てみないふりをする人間や、見えなくなってしまった鈍感な大人よりも、ずっと繊細で人間らしい証拠です。 胸を張りましょう。
そして、学校へ行けなくなったのではなく、学校に行かない人生を選び取りましょう。
あなたの人間関係が、「まあめんどくさいけど我慢できないわけじゃない。楽しいこともたくさんあるし」というレベルならば、学校に通ってもいいでしょう。 でも辛くて自分が崩壊しそうなレベルなのであれば、積極的に学校から離れましょう。
学校から離れても、学び続けよう
「でも。。。学校か離れたら、とんでもないことになるのではないですか?もう私の人生は終わってしまうのではないですか?」
いえいえ、そんなことはありません。長い人生はこれからです。いくらでも道は開けますよ。
でもそう言われても、悲観的になってしまう人もいるでしょう。
無責任に「学校から離れろ」と煽っているいる、と言われないためにも、離れた後のこともアドバイスしておこうと思います。
10代の時間はとても貴重です。
感受性が豊かなこの時期に、様々な知見を広めておくことは、あなたの人生にとってとても大きな財産であり、その後の人生を幸せに過ごすための原動力になります。
学校は、スタンダードな知識を学ぶのに効率の良い組織ですから、学校から離れることによるデメリットは確かに存在します。
でもそのデメリットを打ち消すために、学校からは離れたとしても、学ぶことからは離れなければよいのです。
ここで私が言っている「学び」は、単に英語や数学といった科目のことを言っているのではありません。
それもいいですけど、もっと大きな意味で、幅広い知識を積極的に学んでほしいと思っています。
いずれ、あなたも社会に出ることになるでしょう。 人はいくつになっても学ぶことはできます。
でも「思う存分」学ぶことができるのは、やはり若い時期ではないかと思います。
大人になってくると、時間をはじめとしていろいろと制約も増えてくるし。 大人になるまでの準備期間を生きているあなたには、時間という味方がいます。
ぜひその大きなメリットを生かし、たくさんのことを学びましょう。
おススメしたい2つの学び方、広く学び、深く学べ
その学び方ですが、私としては2つのことをお勧めします。
1つは、あらゆることを、広く浅く学ぶ、ということです。
人が生きていくためには、人生で起こりうる様々な問題に対応していく必要があります。そのときに、広く浅い知識はとても有効です。
たくさんのことを知っていれば、多面的な見方ができます。それは問題解決能力に直結するでしょう。
ちなみに、最近の検索エンジンやニュースアプリなどが、その人の好みを解析して、好みそうな情報を配信する仕組みは、あまりいいものだとは思っていません。
それは結局、見たいものだけを見て、知りたいものだけを知るという、偏った知識しか得られない恐れがあるからです。それは結局、偏った考え方しかできない人間を育ててしまうかもしれません。
ぜひあなたには、何でもかんでも広く浅く学ぶことをお勧めします。
そしてもう一つは、自分の興味があることをとことん掘り下げて、深く学ぶことです。
これは、自分が好きなことでなければ続きません。興味があってとことん学び続けることができることを探しましょう。
あなたにとって、とことん学びたいことは何でしょうか。
絵を描くこと、音楽を演奏すること、ゲームを作ること、料理を作ること、文学を読むこと、歴史を調べること、クイズを解くこと、映画を見ること、・・・何だって、本気で取り組めば学びになります。
ぜひ「これだけは人に負けない!」と言えるくらい学び倒しましょう。
大学に行くことは、一つの魅力的な選択肢である
最後に、これは数ある選択肢のうちの一つとしてお話します。
もしあなたが、学校に戻る気はさらさらないが、現状を何とかしたい!と思っているのであれば、大学を目指す、という方法があります。
「なんだよ、結局学校に戻れ、ってか」という声が聞こえてきそうですが、まあ聞いてください。
私は、学校を全否定しているわけではありません。たいていの場合、学校はメリットも多く、行く意味がある場所だと思っています。
しかし時として、学校に行くのが苦痛になる人を生み出してしまうこともまた事実であり、そんなときに無理して学校に行く必要はないとも思っています。
そんな私が大学を勧める理由には、もちろん、学歴を手に入れることのメリットもあります。何だかんだ言っても学校を出ていないことが不利になる場面はあるので、大学を出ていることでその心配はかなり解消できます。
しかし、私がそれよりも重視していることは、中学校や高校に比べて、大学は自由だ、という点です。
中学や高校しか経験していないと、大学もその延長にしか見えないかもしれませんが、大学は別物のように自由になります。
例えば、出席をとらない授業があります。出席するもしないも自由です。でももちろん試験はあるので、点数が取れなければ単位が取れません。 単位は必須のものもありますが、自分で自由に選ぶものもあります。一緒に卒業した友達とは、同じ学部であっても勉強した内容が半分くらい違うこともあります。
ただ、自由の裏には責任もあります。自由を謳歌しすぎて卒業できなくなる人もいるくらいです。
さらに、これも大学を勧める大きな理由なのですが、大学には変な人がたくさんいるのです。学生にも変な人がいるし、大学教授などもよく考えたら変な人ばかりです。 それだけに、ちょっとやそっとの人では驚きません。
大学では、いろんな人の違いを受け入れる、寛容と多様性を認める風潮があります。それは、中学や高校に比べたらもう別世界と言っていいくらいです。
もしあなたが、まだ大学の風潮を知らないとしたら、4年間その中で生活するだけでも、人生観が変わる可能性があると思います。
そしてそれは、自分だって生きていていいんだ、という強い自己肯定感につながり、あなたにしなやかな強さをもたらしてくれるはずです。
そこで、もし一生の友達や師匠に出会うことができれば、さらにラッキー。
いろんな意味で、大学に行くことを、一つの道として検討してもいいのではないかな、と思います。
「でも、大学なんて自分に行けるわけがない・・・。」
そんなことはありません。
今は少子化のため、どこの大学も生徒を集めることに努力しているくらいです。 もちろん努力は必要ですが、精一杯頑張れば、あとは自分の力に見合った大学に入学することは十分可能です。
「その辺の、入りやすい大学に行っても、何にもならないんじゃないですか?」
学歴を得ることで、おいしい思いをしたい、というのであれば、さほど効果はないかもしれません。
しかし前述のとおり、私は大学の良さは、自由な空間で様々な価値観を学べる貴重な時間だと思っています。たとえ偏差値が低い大学であっても、同じような空間は存在します。
それはあなたにとって貴重な経験となるでしょう。
「どうせ行くならその辺の大学でなく、もっといい大学に行きたいのですが・・・」
もちろん、そんな風に意欲的に行きたい大学を目指してもいいでしょう。
必ず合格できる、などと無責任なことは言えませんが、目標と自分の立ち位置を冷静に見つめ、少しづつ目標にたどり着こうと努力する経験は、何物にも代えがたいものだと思います。
その結果合格を勝ち取ることができるかもしれませんし、たとえ第一志望のところに合格できなくても、その後の人生にとって素晴らしい武器を手にすることができるはずです。
違う視点・違う価値観があることを忘れない
人は悩みながら生きていくものです。
しかし、悩みの大半は、視点を変えてみると違う風景が見えたりするものです。
八方ふさがりでどうにもならない、と思えていたものが、ちょっと場所を動いただけで、大したことがない問題になったりします。
ある価値観がすべてではありません。
自分がどの価値観の中で生きていくかは、自分で選び取ることができるのです。
自由な思考で様々な価値観を学びましょう。
はじめに、少数派の話をしましたね。
あなたは少数派かもしれないし、そうではないかもしれません。
しかし、辛い思いをしたあなたなら、少数派を認める寛容さが大切であるという私の主張を、きっと理解してくれるでしょう。
そして、多様性を重んじ、いろんな人の存在を認めることも。
そんな人が増えていくことで、社会はもっと住みやすくなるはずです。
日本の未来を明るいものとするためにも、あなたのような人は貴重な存在なのです。
変化を恐れず、前向きに生きていきましょう!
今日の格言・名言
苦しければ、学校から離れて学ぼう。寛容と多様性を守るためには、少数派は大切な存在である。